かものはしすず日記
つれづれなるままに…主婦の話
4.4-九州地方の御朱印

太宰府天満宮(権宮司さんが解説してくださいました)

遠出出張版、九州旅行2日目の1社目に向かいます。

博多駅から出発します。

8:00になると券売機が使えるようになるので、そこで切符を買いました。(ここで、切符を買わなくてもバスを降りる際に現金で払うこともできます。)

料金は610円でした。

8:10 12番バス停から”旅人(たびと)”というバスに乗りました。

事前に観光案内所でこのバスが混むかどうか聞きました。

「始発はそれほど混まない」ということだったので、始発の8:10発を選びました。

それでもバスが満席まであと数席...というくらいだったので、やはり早めに並ぶことをおススメします。

揺られること40分、終点の「大宰府」に到着です。

参道を歩くと、両側に並ぶたくさんのお店はまだまだ準備中のようでした。

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※権宮司さんにお会いしたのは、御朱印を拝受した後ですが、分かりやすいかなと思い、以後から権宮司さんの解説が入ります。

【権宮司さんのこぼれ話 参道にある鳥居】

昔は参道にある鳥居(上の画像に柱が写る鳥居)までが境内だったようです。

参道にあるいくつかの鳥居前で一礼をして進んで行きます。

ようやく境内に到着です。

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太宰府天満宮:だざいふてんまんぐう

住所:福岡県太宰府市宰府4丁目7−1

ホームページあり

鳥居をくぐると、正面には御神牛、通称”撫で牛”がありました。

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「自分の体の悪いところや良くしたい部分を撫でるといい」ということで有名で、参拝者が列を作ってでも撫でたがるほど。

今回は並んでいなかったので、写真におさめることができました。

【権宮司さんのこぼれ話 境内の牛の像】

この太宰府天満宮は、「牛車に遺体を乗せて、牛がとどまったところを墓にせよ」という道真公の遺言通りにし、牛がとどまった土地がこの地となります。

境内には、この”撫で牛”の他にも牛の像が多くあります。

牛の像がある場所は、”当時牛が座った場所”です。

【権宮司さんのこぼれ話 昔の延寿王院】

この撫で牛の奥には、現在は延寿王院となっておりますが、太宰府天満宮が安楽寺天満宮と呼ばれていた時には宿坊(参拝者のために作られた宿泊施設)がありました。

そこでは、1865年に三条実美含む公卿(くげ)5名が滞在しています。理由は当時争っていた薩長についての話し合いです。滞在時には、西郷隆盛、中岡慎太郎、高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文らが訪ねてきていたそうです。また、坂本龍馬も訪れているようです。

梅は暖冬により、盛りを過ぎてしまいましたが、少しだけ咲いていました。

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太鼓橋を渡って身を清めます。

橋は3つ繋がっており、手前から、過去、現在、未来を表していると言います。

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太鼓橋を渡り終えると、麒麟(きりん)像、そして手水舎が見えてきます。

【権宮司さんのこぼれ話 麒麟(きりん)像】

手水舎手前には、麒麟像があります。

頭が龍、尾は牛、足は馬という、想像上の生き物です。

清く正しい政治を行った者の前に現れるという、中国の伝説にならい、道真公の清く正しい政治を表して、ここに麒麟像が建てられています。

実際に道真公は、中央政府からそれぞれの国へ行って政治をする国司(こくし)という役人となり、讃岐(さぬき)に派遣されます。そこでは、清い政治を行い、領民から慕われていたという記録が残っています。

手水舎が素敵だったので、写真を撮りました。

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【権宮司さんのこぼれ話 手水舎の手水鉢】

手水鉢は、霊峰宝満山の山腹より切り出された、1枚岩を掘り出して作っております。当時は重機などもないため、地面に丸太をたくさん敷いてその上に切り出した岩を転がして運びました。

水の底には、亀の彫刻を見ることができます。

画像では水が反射して上手く映らなかったので、参拝した際は水底中央をぜひ覗いてみてください。

参道を外れ、手水舎と麒麟像の間の道を少し少し行くと、右手の梅の木の中に石碑があります。

”和魂漢才(わこんかんさい)の碑”です。

石碑は漢文で描かれており、権宮司さんが読んでくださったので、残しておきます。

【権宮司さんのこぼれ話 和魂漢才の碑】

およそ神国一世無窮の玄妙なるものは、あえてうかがい知るべからず、漢土の三代周孔の聖経を学ぶといえども、革命の国風は、深く思慮を加うべし。

およそ国学の要とするところ、論古今にわたりて天人を究めんと欲すといえども、その和魂漢才にあらざるよりは、その閫奥をのぞむあたわず。

↓ 訳です。

おおかた日本という国は奥深くて優れており、理解しようと、志那の聖人の書を学んでも、革命による国の移り変わりには注意しなければならない。

おおかた日本の学問において求められるものは、論じることによって、昔から今にいたるまでの自然の道理や人間社会の出来事を探求することである。しかし、和魂漢才の意識がなければ、その奥底をのぞき見ることはできない。

(和魂漢才とは、日本特有の精神を大切にしながら、中国の学問を消化・活用するべきである、という意味です。)

手水舎まで戻り、手水舎の前の参道挟んで反対側には、柵がしてあり、楠(くすのき)が植わっています。楠の周囲の地面には、何やら黒い筒のようなものが植わっています。

【権宮司さんのこぼれ話 境内の楠】

以前は柵も黒い筒もなく、人が通り、子どもたちが木陰で遊ぶ姿が見られていました。そして、数年前はこの場所に、もう1本楠が植わっていましたが、枯れてしまいました。今植わっている楠も一部の枝が枯れるという事態が起こります。

原因は栄養、空気不足と、人が根の上を踏み固めてしまうことでした。

そのため現在は、柵をし、黒いチューブで時折肥料や空気を送れるようにしました。

「梅だけでなく、境内の全ての植物を後世に繋いでいかなければなりません。」とおっしゃる姿からは、並々ならぬ使命感が伝わってきました。

楼門をくぐって御本殿を参拝しました。

御本殿手前の飛梅(とびうめ)は本当にわずかに花を見ることができました。

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楼門横を出たプレハブで御朱印を拝受しました。

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御朱印帳も頂きました。

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もう1種類、緑地に梅の咲いた枝が描かれた御朱印帳もありました。

御朱印受付の出口に向かうと、出口の整備をしていた権宮司さんにお会いし、あいさつをすると会話が弾み、「よかったら案内しましょうか?」と言ってくださいました。

ご奉仕があるのに申し訳ないとは思いつつ、せっかくの機会なので、御厚意に感謝してお願いすることにしました。

参拝後は”梅が枝餅(うめがえもち)”を菅公歴史館の隣のお店で頂きました。

お店の名前は”小山田茶店”です。おいしいと評判だったので、こちらに行きました。

餡の甘さもちょうどよく、注文を受けてから焼いた焼き立ての、外はカリッ・中はモチッとした触感がたまりません。

自家製の甘酒も、ショウガが後から香る大変おいしいものでした。

【権宮司さんのこぼれ話 道真公と梅が枝餅】

梅が枝餅もただの名物ではありません。道真公と関係があります。

太宰府に左遷された際にお住まいになられたのが、”榎社(えのきしゃ)”と呼ばれる建物です。

到底広いとは言えず、雨が降ると、いたる所から雨漏りがするような建物でした。

また、食事も大したものが与えられず、道真公は栄養失調を起こします。

その苦行をあわれんだのが、当時道真公のお世話をしていた女性です。(この女性は、のちに”浄妙尼(じょうみょうに)”と呼ばれ、人々に敬われます。)

この女性が、梅の枝に餅を挟んで格子越しに道真公に差し入れをします。

この出来事にならい、太宰府天満宮の参道では、梅が枝餅が売られるようになりました。

皆さんも参拝された際にはぜひ食べてみてください!

今回は長くなってしまいましたが、見て頂いてありがとうございました。

九州旅行編はまだまだ続きますので、次回をお楽しみに!