一宮の神社についてしらべてみました!
皆さんは気になったことはありませんか?
「なぜここが一宮なのだろう?」
私は御朱印を拝受し始めた時に一宮の選定基準が気になり、調べました。
当時はノートにまとめていましたが、今回は調べた内容を記録として残すために、分かりやすくしてブログにまとめ直しました。
最後に参考にさせて頂いた本を載せたので、気になった方は読んでみてください。中でも二冊目の渋谷申博さんの本が個人的におすすめです!
なお、”一之宮”、”一の宮”とも書きますが、今回は参考にした本にならって、”一宮”とします。
結論
結論から言うと、一宮制度は何年に誰が選んだのか、はっきりしたことは分かっていません。
一宮という制度について分かっていることも含め、順を追って説明していきたいと思います。
一宮とは
”国内で第一位の地位を占めた神社”のことです。
ここで言う国とは、武蔵国(むさしのくに)、尾張国(おわりのくに)などの律令国のことを言います。
(律令国とは...古代から中世に使われた行政区分の国のこと。令制国ともいう。)
一宮の制度はいつできたのか
私が読んだ本のほとんどが、ざっくりとしか書かれていませんでした。
なぜざっくりなのか、理由は2つあります。
①「何年に作られた制度である」という資料がないこと。
②地方によって一宮ができるのに差があるとみる意見が多いこと。
ちなみに本には、”平安時代”や”11世紀末~12世紀初めごろ”と、書いてありました。
続いて、文献にはいつ”一宮”という言葉が出てくるか調べました。
【文献に出てくる”一宮”】
・康和5(1103)年の「伯耆倭文神社境内出土経筒銘」
文献に初めて”一宮”という言葉が現れる確実な資料です。”一宮大明神”とあるようです。
つまり、伯耆国(ほうきのくに)である現在の鳥取県では、少なくとも1103年には倭文(しとり)神社に”一宮”という社格(神社の格式のこと)があったことになります。
ちなみに、この倭文神社は複数あります。織物に関わる氏族の倭文部の守護神社で、彼らが移住した地域に多いようです。一宮とされる倭文神社は、その本宮的な存在となります。
・12世紀中ごろ成立と考えられる「今昔物語集」
周防国(すおうのくに)の”一宮玉祖(たまのおや)大明神”とあるようです。
つまり、周防国である現在の山口県は12世紀中ごろには、すでに一宮であったであろうと考えられます。
余談ですが、この周防国は、五宮まで順位づけがされていたようです。山口県となった現在は三宮ですが。もともとは二宮まででしたが、15世紀以降、徐々に増えていったようです。
つまり、文献を信じるならば、1103年には一宮という制度があったことになります。
どのように一宮はできたのか
平安時代、律令国には中央政府からそれぞれの国へ国司(こくし)が派遣されていました。
地方の長官である国司(こくし)は、赴任(ふにん)するとまず吉日を選び、国内に鎮座する諸神社を参拝するのが通例でした。
その国において崇敬を集める神社を参拝し、幣帛(へいはく。神様に捧げる食べ物以外のもののこと。)を捧げることは、地方政治の運営上欠かせないことでした。
この諸神社がやがて順位づけされていき、国内で第1位の神社が”一宮”とされました。
一宮の選定基準
この一宮という制度の注目すべき特徴は、国によって一宮が複数存在したりしなかったり、二宮や三宮が存在したりしなかったりと、ばらつきがあるところです。
このため、朝廷ではなく、国司が派遣される、国衙(こくが)という役所の役人の意見が大きく反映されたのではないか、という地方的制度だと考える人もいれば、制度と呼べるほど機能していなかったのではないか、と考える人もいるのです。
説が分かれる理由は、その神社が第1位ということを、何年に、誰が、どのような基準で決めたのかが分からないことです。
つまり、現時点では一宮の制度の始まりに関わる資料が存在していないのです。
◎おまけ...
【一宮の扱われ方】(2種類に分かれるようです。)
・二宮以下と並べて一番(最初ないし最高)として扱われる場合
・国を代表する唯一の神社として扱われる場合
扱われ方にも違いがあるのも気になります。
二宮以降はどうやって選ばれたのか
これも資料が存在せず、本当のことは分からないため、説をまとめました。
【一宮以下が存在しない国】
・一宮の権威が絶対的であった場合
・一宮の制度があまり機能せず、形式的なものに近かった場合
〇例 大和国(現在の奈良県)、飛彈国(現在の岐阜県)
【二宮までがある国】
・一宮と二宮が密接な関係にある場合が多い
〇例 山城国(現在の京都府)
【三宮以降がある国】
・国内の有力氏族が国衙を中心に結束していた可能性がある
〇例 周防国(現在の山口県)
一宮のその後
なぜ分からないことが多くなってしまったのか。
一宮制度が作られてから現在に至るまでを調べて、簡単にまとめました。
平安時代にできた一宮制度は、そのまま鎌倉時代まで続く。
↓
鎌倉時代に政権の中心が京と鎌倉の2つに分離してしまったことで、一時的に権威を失う。
しかし、モンゴル軍の襲来により、”国家鎮護”の期待を集めて再び注目される。
↓
戦国時代に入って、国衙の機能が失われたことにより制度としての一宮は失わる。
やがて、”一宮”という称号だけとなり、地方によっては、どの神社が一宮か分からなくなってしまうところも出てくる。
↓
近世に入り、神道研究として発見されて注目を集める。
このように、一宮の制度が注目されたり、衰えたりする中で、”始まり”が分からなくなってしまったのかもしれません。
おわりに(参考文献)
”どうやって選ばれたかが分からない”という、モヤモヤした結果となってしまいましたが、「分からないという事実が分かった」というだけでも良かったのかな、と思います。
これからも本を読み、分かったことがあれば追加していこうと思います。
今後、一宮制度の研究が前進することを祈ります。
~参考文献~
・監修 神社本庁
2012年初版第1刷発行
タイトル 「神社検定公式テキスト① 『神社のいろは』」
発行所 扶桑社
・著者 渋谷申博
2015年第1版第1刷発行
タイトル 「諸国神社 一宮・二宮・三宮」
発行所 山川出版社
・編者 岡田莊司 笹生衛
2013年第1刷発行
タイトル 「事典 神社の歴史と祭り」
発行所 吉川弘文館
・編輯兼発行者 真清田神社史編纂委員会
平成6年発行
タイトル 「真清田神社史」
印刷所 国書刊行会
・編集担当 佐藤實、齋藤勝美、伊藤公一、聴涛真悠子
2008年発行
タイトル 「別冊歴史読本⑦ 諸国一宮と謎の神々」
発行所 新人物往来社
見て頂いてありがとうございました。
次回をお楽しみに